母の日の白いカーネーション

白いカーネーション。

 

母の日の白いカーネーション

私の母は、生まれて1歳になる頃には母親を病気で亡くしています。
当時も「母の日」が近くなると学校からカーネーションを一本貰って帰ったそうです。でも母にはお母さんがいません。
母親のいる子どもには赤いカーネーションが配られましたが、なんと母親のいない子どもには白いカーネーションが配られたそうです。母はとても悲しい気持ちになったと言っていました。

 

その白いカーネーションの意味は、亡くなってしまった母親への弔いの意が込められているのだろうと、大人の私たちなら理解出来なくもありません。
深い意味を込めて、帰ったらお仏壇に飾るようにと配られた白いカーネーションは、子どもだった母にとっては悲しいだけ。

 

年の離れた姉と、近所のおばさんたちに支えられて育った母。

 

ちょっとだけわがままで見栄っ張りなのは、母親がいないことを必死に乗り越え、持ち前の明るさで過ごしてきた名残。(娘の私が言うのもなんですが)
優しさは母を育てたお姉さんやお兄さん、周りの人たちの愛情から受け継いだ宝物。

 

自分の母が幼少の頃にそんな思いをしていたと想像すると、自分には母が居てくれるありがたさが身に沁みます。




年に一回の「母の日」には、母への感謝の気持ちを込めて贈り物をする。

 

でも思い返すと、忙しさのあまり気持ちを込め切れていない時期があったのも確か。義務的な贈り物には、心が籠っていないことがバレバレなんですよ。

 

なんて言われたかも忘れましたが、宅急便で送られてきた、自分が送ったであろう鉢植えが玄関に飾ってあるのを見て「なんてきれいなアレンジなの〜」とまるで他人事のように言ってしまい、インターネットで自分で注文したはずの私はそれすらも忘れていたのです。

 

その時の母はあきれた表情の奥底にちょっとしたさみしさを隠しきれなかったようで、「自分が送ったくせに〜」と微妙な表情を浮かべていました。
「ヤバい…」とハッとした私は、自分の余裕のなさが情けなくてしょうがなかった私。

 

私は人に贈り物をする時に、その人のことを思いながら喜ぶ姿を想像しながら選ぶのが大好きです。そうすると贈られた人は必ず喜んでくれます。

 

それが出来なかった事を悔やみ、それ以来どんなに忙しくても「母の日」の贈り物を考えるときには、時間を作り、思いを込めて決めるようにしています。

母の日の白いカーネーション

 

「母の日」は特別です。

自分も母になり、子ども達から毎年贈られる贈り物。

 

誕生日よりも父の日よりも何よりも張り切る子ども達。(パパさん申し訳ない(笑))

 

不思議ですね、子どもにとって「母の日」は嬉しいことに特別扱いなのです。
贈って、贈られて幸せな「母の日」を今年も迎えたいと思います。