母の日のはじまり
アメリカの女性教師が開いた「母をしのぶ会」が起源
1907年5月12日、アメリカ・ウエストヴァージニア州の女性教師アンナ・ジャービスは、亡くなった母親をしのぶために、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会を開きました。母をとても愛し、尊敬していたアンナは、その席で「国じゅうで母を讃える日をつくろう」と呼びかけました。
その想いは多くの人の共感を呼び、ウエストヴァージニア州で母の日の制定が認められたのを機に、母の日制定の運動は全米規模に拡大。
1914年にウィルソン政権下のアメリカ連邦議会は5月の第2日曜日を「母の日」と定める法律を可決しました。翌1915年の施行によって、ここに国家規模で認められた「母親の記念日」が世界に登場するのです。
地域社会のために活動した母、アン・ジャービス
アンナのお母さんはアン・ジャービスといい、地域の医療や教育に生涯を捧げ、1905年に亡くなりました。当時のウエストヴァージニアは医療水準が低く、11人兄弟の中で成人できたのはアンを含めて4人しかいなかったほどです。
敬虔なクリスチャンだったアンは、地域の医療・衛生環境の向上のために「Mothers Day Work Club」というボランティア団体をつくり、病気で苦しんでいる人のための募金活動や、食品検査や公衆衛生の活動などに取り組んでいました。その活動が広く知られるようになったのは、1861年の南北戦争のときです。
アンが夫と暮らしていたウェブスターは北軍と南軍の両方が駐屯しており、双方で感染症などの病気が流行していました。その際、彼女達の団体は北軍、南軍に関係なく、苦しむ兵士達に手を差し伸べ、懸命に看護したと言われています。
戦争終了後もアンは南北の融和のためにイベントを開いたり、教会の日曜学校で子ども達に勉強を教えるなど、地域のために尽くしました。そんな母の姿を間近で見続けた娘アンナが、母を讃える日をつくろうと立ち上がったのも納得ですね。
母の日に避けたいプレゼント
実の母ならいいけど、嫁ぎ先のお義母さんに贈るときのプレゼントは、特に気を使いますよね。なるべく、避けたほうが良いプレゼントをご紹介します。
ハンカチ
ハンカチは「てぎれ」ともいい、手を切る(縁を切る)ということを連想します。
靴などの履物
人を踏みつけるというイメージがあります。
くし
「苦」と「死」をイメージしますので、おめでたい時などは避けたほうがいいですね。
刃物
印象が悪いです。
母親の健康を考えたちょっとリッチなプレゼントはいかがでしょうか。
自宅で1日10分振動するだけで、ジムで1時間の運動量に匹敵する
パーソナルパワープレートなどはいかがでしょうか。日頃の感謝の気持ちをこめてプレゼントするととっても喜ばれるとおもいますよ♪